【家族】住む人が変わると常識が変わる。

久しぶりに実家に帰省しました。

普段は4人ともバラバラの場所に住んでいますが、奇跡的に4人全員そろって過ごすことが出来ました。姉の家で夕ご飯を作ってもらったり、ボードゲームに興じたり、特に特別に何をするでもなく、穏やかに過ごして、私が東京に戻る日には、夜行バスの乗り場まで家族で見送ってくれました。

私は普段、都内で恋人と二人暮らしをしています。もともと、恋人が転勤に伴って引越ししてきたお部屋で、間取りは1K広さは6畳。恋人も私も服や靴などは対して持っていないのですが、もともと趣味だったゲーム用のデスクトップパソコンやゴルフバッグ、ギターなどの「大物」がいくつかあるので更に狭い。

そんな…言ってしまえば窮屈なお部屋ですが、1年以上一緒に住んでいます。ただ、喧嘩はしたことがなく本当に平和に過ごしています。

お金に関して以外は殆どルールのようなものもなく、家事の分担も決まっていません。お互いの「お願い」と「いいよ」で大体のことが成り立っています。

自分にとっての常識や普通って、やっぱり自分自身の経験などから作られていると思っていて、そうするとやっぱり自分が一番多くの時間を過ごしてきた家族の存在って大きくて、家庭や学校、職場での暗黙のルールとかが染みついて「これはこうだ」みたいな考えが増えていくと思う。

私の中にも多くの「家族間での常識」が多く存在していたのだけれど、それはやっぱり家族の間という特殊条件で発生するものであって、恋人との暮らしでは発生しなかったりする。

家族と暮らしているときは正直「何かしてほしいから○○をしよう」みたいな風に、打算的に動いていた。家事の手伝いもしょうがないからやるということが多かったから、不満気で、結果やる・やらないの喧嘩が起きたり「私はさっき○○をしたんだから免除されるべき」という主張を各々がすることになる。で、じゃんけんとか、多数決とかで負けた人が面倒ごとをやる。

当たり前だけど、私は自分の家のことしかわからないのでそれが普通だった。

でも、恋人と暮らす今は「これをしてもらいたいからこれをしよう」みたいな場面が本当に少なくて、それこそ最初のうちは「きっと好きだからだ」とか思っていたんだけど、今はなんとなく違う気がする。もちろん気持ちの面もあるかもしれないけれど。

思い返してみた結果、恋人から「○○したから~して」と言われることがなかった。そして、そもそも恋人の家ではそういった会話が発生しない環境だったということが原因だと思った。

それぞれ全く別の環境で育って、各々の常識を持ち寄って、一緒に暮らし始めて、そりゃあ多くのカップルは喧嘩が絶えないわけだ。そんな状態で喧嘩が起こらない私たちについて、自分でもなぜなのかはよくわからない部分も多いけど、こうやって書き出してると「これってこう思っていたけどこういう可能性もあるな」みたいな新しい発見があって、面白い。

せっかくブログを始めたので、また少しずつこういう小さな気づきみたいなものもまとめていきたい。

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